年頭の辞

Category : NEWS, 年中行事
Date : 2022年1月5日

令和四年

檀信徒の皆様、昨年は大変なご協力を賜りまして篤く御礼を申し上げます。
昨年においても一昨年から続く疫病コロナウイルスに見舞われました。ほぼ一年を通じてこれまで当たり前であった様々な活動ができない日常を過ごし、この日常が当たり前のように意識が変化してきたようにも思われます。社会全体を見渡してみても業界によっては復調が厳しく、若年層の凶悪犯罪、或いは家庭崩壊等の暗いニュースを最近はよく耳にいたします。資本主義という大量消費社会のもと、近年ではインターネットの発達により大変便利な時代になりましたが、同時に無数の大量の情報が入り込んできます。物と情報は溢れんばかりに増え続けておりますが、取捨選択の判断軸は損得勘定となり、心の豊かさは失われ続けているようにも思います。それにもかかわらず、社会・経済の歯車はとどまることを知らず、この混迷と矛盾の日々をどうにか生きているのが現代人なのではないかと思います。そして、そのことに多くの方はもう気が付いているのではないでしょうか。


このような中でも当山では喜ばしいこともございました。それはお墓参りにいらっしゃる方やご本尊様にご参拝なされる方がコロナ前に比べてやや増加傾向にあることです。神仏へと目を向ける方が増えてきたということでしょうか。私たちはこの混迷と矛盾に満ちたこの世を心豊かに生き抜いていかなければなりません。ご両親からいただいた尊い命を全うしなければなりません。仏道にいそしむものとして、その道標はやはり日々の仏道の実践にあるものと思います。ご先祖様の供養を通じ、或いは仏道に触れることで損得だけではない心の豊かさを育てなければなりません。そこで、本年はお釈迦様が入滅される際に、弟子達に説いた尊い最後の言葉をご紹介させていただきます。
お釈迦様は八十歳の時にインドの霊鷲山を出立し、六か月に渡る数百キロの困難を極める最後の旅に出ましたが、途中のクシナガラの地で力尽き、お亡くなりになりました。そして弟子達に次の言葉を発します。


「すべては移ろい、変化し、過ぎ去るものである。比丘(弟子)らよ、怠ることなく修行を完成させよ」というものです。これがお釈迦様の発した最後の言葉です。極めて端的な言葉でありますが、この言葉が仏教そのものと言っても決して言い過ぎではないのだと考察しています。仏教には八万四千もの法門(お経)があるといわれておりますが、実際に私たちが手に取ることができるのはせいぜい数十の経典であろうと思います。これら私たちが手にすることができる経典の中身を見てみると、行き着く先は概ねこの最後の言葉で説明がつきます。経典とはそもそもお釈迦様の説法を取りまとめたものですので、当然の帰結といえるでしょう。


前段は諸行無常・無我の教えを示しており、後段は昨年ご紹介した六波羅蜜の教えを示しております。平家物語の冒頭でも有名な「諸行無常の響き」や「沙羅双樹の花の色」とは万物流転の法則をあらわすものでありますが、導き出される教訓は「今を無心に生きる」ということです。過去に執着するのでもなく、悪戯に未来を憂うのでもなく、「今」為すべきことを成し、継続することで「今」の質を向上していくということです。この仏教の根本的な真理である無常や無我の概念により、二千五百年も前から途切れることなく教えが受け継がれ、信仰を集めているのでございます。そして、後段は六波羅蜜の教えの中でも「精進」にあたる教えを示しております。何かを成し遂げることの大切さを、お釈迦様は厳しく弟子や信徒に説き続けてきました。この「精進」には年齢や性別、他者は関係ありません。他と比較して優劣をつけたり、勝ち負けに一喜一憂するのでもなく、自分自身を見つめ、自分自身と向き合い、自分自身を高めていくことを仏教では「精進」と呼ぶのであります。そして住職として私がなすべき「精進」は心身を清らかに保ち、檀信徒の皆様の心が豊かになるよう、後にも先にも仏道に励み、布教を続けることです。


皆々様が心豊かに過ごしていけるようお祈りし、年頭の辞とさせていただきます。本年も何卒宜しくお願いいたします。


最後になりますが、当山では昨年から山内の整備に注力しており、庭木の整備や一部寺領の拡張、WEBサイトの創設等、今後の布教活動の基盤整備に尽力しております。これら整備事業を進めることができるのも偏に檀信徒の皆様のご協力あってのことでございますので、この場を借りて心よりの御礼を申し上げます。


多福院 住職
令和四年元旦
檀信徒各位

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