多福院について


多福院の由来


当山多福院(たふくいん)は、詳しく申しますと亀宝山多福院能満寺(きほうざん・のうまんじ・たふくいん)と申しまして古記録によると紀元1382年、長慶(ちょうけい)天皇※1の時代(永徳二年)にその時の戸田城主・桃井直和(もものい ただかず)中務大輔※2が、武運の長久と領民の繁栄を祈って虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)※3をご本尊として祀り、定顕大阿闍梨(ていけん・だいあじゃり)を京都からお迎えして之を初代住職として創建したものであります。

当時の多福院は現在の数十倍の寺領で七堂伽藍(しちどうがらん)※4の威容を誇ったといわれております。紀元1620年頃には徳川家康が関東大演習の際、当多福院に立ち寄り備に地形を調査し、当多福院が要害の地であることを知り、万一を慮って多大な寺領の寄進を申し出たことが徳川家の記録に残っております。その後、度重なる水害を受け、寺院の所在もその都度移転し、現在地に定住したのは徳川の中期頃ではないかといわれております。

徳川の政治が維持されている間、寺運はそれほど影響なく維持されていたものと思われますが、明治の新政府となってからは往年の仏教擁護の政策から一転して廃仏毀釈、神仏分離の新政策によって寺領は没収され、此に衰亡の危機を迎えますが当時の住職・須賀盛舜師は死をもって、他寺院とも連繋を保ちながらよく之を守り、本尊・虚空蔵菩薩の法灯を今日に伝えられました。

※1 長慶天皇は、日本の98代天皇および南朝第3代天皇。
※2 中務大輔は官位。天皇の補佐や詔勅(しょうちゃく)の宣下(せんげ)や叙位(じょい)などの朝廷に関する職務全般を担う、八省の中でも最も重要な省とされた。
※3 虚空蔵菩薩は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされる。また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれている。
※4 七堂伽藍とは、本来は梵語の「サンガラーマ」が由来の僧侶が集まり修行をする場を指す言葉です。
その意味が転じて、僧侶のあつまる寺院敷地内にある堂宇(=建物)群を、伽藍と称するようになりました。


ご本尊・虚空蔵菩薩の信心


虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)のお姿は蓮華台の上に座し右の手に智慧の利剣をもち、左手に宝の壺をもっていて、之を信ずる者に智慧(ちえ)と宝を与えてくださることを表しておられます。
お名前の虚空蔵とは無限の大空のことであり、私どもの願いに応じて宝を授け、また智慧を授けて万人の願いを満たしつづけ、尽きることが無いといわれる菩薩様なのであります。当山の多福院能満寺(たふくいん・のうまんじ)という寺号もこれらに由来するものです。
私どもはこの虚空蔵菩薩を信じ、一切諸仏・諸神の通号であり総呪(そうじゅ)である南無遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)※4の名号を称えて多福院にお参りすれば、必ず念願が叶えられ、福徳智慧がかね備わり、その深遠な真言密教の教えに近づいていくことができるものと信じています。

※4 南無大師遍照金剛とは、真言宗で唱える短いお経のこと。真言宗の開祖・空海(くうかい)への帰依を意味する言葉です。


住職 児玉 正隆(こだま せいりゅう)
宗教法人 多福院 代表役員・住職(平成7年8月8日~)

当山はかつて十万坪を超えるほどの伽藍を誇っていました。度重なる水害や廃仏毀釈、戦争の動乱期を経て現在の規模になっています。かつての威光を取り戻すべく、日々研鑽を積み、檀信徒の皆様が法雨に浴するよう、住職としての勤めを果たして参りたいと思います。

副住職 児玉 真隆(こだま しんりゅう)
宗教法人 多福院 副住職(平成16年12月1日~)

現代社会の中での寺院のあり方について、日々思考を巡らせております。寺院は宗教的な儀式・儀礼を執り行う場所でもありますが、心の修行・鍛錬の道場でもあります。
江戸時代には寺子屋と呼ばれ、寺院は地域の子供たちの学問の場でもあり、全国では16000を超える寺子屋が存在し、大いに賑わっていたと伝えられています。
地域社会の中での役割を改めて考え、より地域に開放された寺院を目指して参りたいと思います。

  • 正式名称 :亀宝山 能満寺 多福院(きほうざん・のうまんじ・たふくいん)
  • 宗派:真言宗智山派
  • 創立:1382年
  • 本尊:虚空蔵菩薩
  • 住職:第40世 児玉 正隆
  • 副住職:児玉 真隆
  • 住所:〒335-0023埼玉県戸田市本町3-4-3
  • TEL:048-441-3221
  • FAX:048-441-3223
  • MAIL:info@tafukuin.or.jp
  • 開門時間:8:00~17:30(お盆やお彼岸等の際は適宜変更)
  • 総本山:総本山智積院
  • 霊場:武州足立百不動尊霊場 41番札所
    武州足立百不動尊霊場は、現さいたま市・川口市を中心とする旧足立郡域ににある100不動尊を巡拝する霊場で、不動明王を守護仏とする酉年に開帳されます。霊場の開創年代等は不詳ながら、江戸時代末期には成立していた霊場だといいます

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